アジアン美容クリニック院長韓流独り言

2005年開院 東洋人の美を追及してきた稀有な美容外科アジアン美容クリニック鄭憲院長が過去17年に渡り東洋経済日報に連載されたコラムなどを含めたブログです。

「満ち足りた家族」映画評

ある韓国ドラマの中で「歳を取ると子供が人生の成績表のように思える。」という台詞があった。ドラマの題名や、どの様な場面であったかは不確かであるが、その言葉がなぜか耳に残っている。韓国では、友人、家族など親しい間柄で相手に対して、その人が結婚して子供がいるなら「○○アッパ(アボジ)、○○オンマ(オモニ)」と○○のところに子供の名前を入れて呼ぶことが多い。日本で言えば、誰々ちゃんのパパ、ママという意味であるが、より浸透した呼称であり、時には夫婦間でも配偶者に対しても使われる。一人の個人としての立場より、家族の中での存在や役割を重要視してきた表れだろうか。特に女性の場合、儒教的価値観の強かった韓国社会において妻、嫁、そして母親としてのみ認識される事への違和感や反発は強まってきている。「私は○○オンマではなく、れっきとした名前がある!」と主張する場面も近年の映画などで時々見られる。反面、前述したように、家族を築き、仕事や家事に限らず精一杯子育て、教育など子供の成長のため、自分なりに努力してきた親として「子供が人生の成績表」と感じるとしても不思議ではない。反面、日本では‘親ガチャ’、韓国では‘金の匙、銀の匙’と言われる親の努力、金銭面や学歴、職歴で子供の人生が決まるという考え方が行き過ぎると、社会とっても個人的にも好ましい事ではない。子供は成長すれば独立した一人の人間であり、「親の思い通りにならないのが子供」というのも真実であるから。

今回紹介する作品「満ち足りた家族」は、韓国映画やドラマでよく登場する財閥一族や政治家といった所謂特権、権力階級ではないが、社会的に安定した職業の代表とみなされる弁護士と医師の兄弟とその家族の物語である。監督は、いまでも韓国映画の名作として挙げられる「八月のクリスマス」で長編映画デビューし、その後も数々の作品で高い評価を受けるホ・ジノ監督。彼を慕って参加した出演陣は、ソル・ギョングチャン・ドンゴン、キム・ヒエ、クローディア・キムら韓国映画界を代表する名優達となれば、自然と期待は高まる。ストーリーは、道徳よりも利益を優先するやり手弁護士の兄ジェワン(ソル・ギョング)は、出産したばかりの若い再婚相手(クローディア・キム)と前妻との高校生になる娘とで優雅なマンション暮らしをしている。一方、まじめで道徳的な小児外科医の弟のジェギュ(チャン・ドンゴン)は長年連れ添った妻(キム・ヒエ)と息子と、母の介護をしながら堅実に暮らしている。価値観の異なる彼らだが、月に一度食事会を開いていた。そして、いつものように夫婦同士で兄の行きつけの高級レストランでディナーをしていたある夜、彼らの子供たちは重大な事件に巻き込まれる。この日を境に、満ち足りた家族は予想もしなかった運命に・・・。人間の表と裏、善と悪、家族という存在の前で人間の本性が問われる展開に引き込まれる作品である。

日本でも少子高齢化は深刻な社会問題である。しかし出生率に注目すれば、韓国は世界最低であることが知られている。その原因として若い世代の結婚、子育てに関する価値観の変化、そこには就職率の悪化に伴う経済的問題が大きい。特に韓国では、学歴から始まる激しい競争社会のなか、教育は子供が人生を勝ち抜くための投資との意識が強い。その為、親としての義務感が子供を持つことへの負担感に繋がり易いかも知れない。6年ぶりに長編映画に復帰出演したチャン・ドンゴンが、「この映画のタイトルを自分でつけるとしたら‘子無しが最高!’(笑)」と答えた。勿論、冗談ではあるが、笑えない現実が、韓国そして日本にもあるようだ。

新年を迎え、あらためて読者の皆様、そして日韓両国さらには世界がより平和で穏やかな1年になるように願うばかりです。 

「市民捜査官ドッキ」映画評

振り込め詐欺、いわゆる‘オレオレ詐欺’と言う単語が使われ始めたのは2000年代初期くらいではないか。しばらく疎遠であった息子や孫からの電話を装い、窮状を訴えて金銭を要求する特殊詐欺を意味する。親子の扶養意識やお互いの依存性が比較的強いアジア諸国中心で、子供も早くから独立心を育ませる欧米では少ないと言われる、同様の犯罪自体は世界中で起きているようだ。その呼び名もアメリカでは孫を騙って高齢者を狙う「Grandparents Scam」(祖父母詐欺)、スイスでも同様の「Enkeltrick」(孫騙し)と高齢者を狙うスタイル。一方、治安のあまり宜しくないブラジルでは「お前の息子を誘拐した。殺されたくなければ1時間以内に指定の金額を振り込め」という切迫した内容もあり、お国事情により様々だ。そして韓国においては、オレオレ詐欺に対し、「ボイスフィッシング」(Voice Phishing)という用語が使われる。“声(Voice)で個人情報(Private data)を釣る(Fishing)”を意味する造語であり、高齢者より一般市民をターゲットにした振り込み詐欺が多いと言われる。さらに特徴として、子供や孫など身内を騙るものより、融資や貸出、様々な投資話を餌にするものが圧倒的に多い。その点は、日本より家族関係が密であり、怪しげな電話の声だけでは騙され難いが、儲け話やお金に絡んだ内容には安易に乗ってしまう傾向が高いと言う解釈も出来る。それ故か、投資、融資関係の詐欺であるだけに被害額も日本の約300億に対して2倍以上、6~700億円以上と言われる。

このように深刻な社会問題の一つになっている振り込め詐欺=ボイスフィッシングだが、近年 映画やドラマの題材としても取り上げられる。2021年に制作された「声/姿なき犯罪者(日本上映2022)」は元警官の被害者であったのに対し、今回紹介する作品「市民捜査官ドッキ」は、2016年に起きた実際の事件をモチーフに、子供の為に懸命に生きる一市民、シングルマザーのドッキが極悪詐欺集団に立ち向かった39日間の物語である。クリーニング店が火災になりお金を必要としていたドッキ(ラ・ミラン)に、銀行のソン代理を名乗る人物(コンミョン)から融資商品を紹介したいとの電話がくる。融資に必要だからと手数料を請求され、たびたび送金に応じてしまったドッキ。すべてが振り込め詐欺であり全財産を失い子供たちと路頭に迷うなか、再びソン代理から電話がかかってきた。今度はドッキに詐欺組織の情報提供をする代わりに助けを求めてきたのだ。警察もまともに相手にしてくれない状況で、騙された悔しさと奪われたお金も取り戻したい一心で、職場の同僚たちと共に犯罪集団のアジト 中国・青島(チンタオ)へと向かう。平凡な市民、それも女手一人で子育てし日々の生活に精一杯の中年女性が犯罪組織を追い詰める話は、サスペンスというより現実離れしたコメディーに近い話になりかねない。しかし、一人一人は小さな存在でありながら、強い絆と勇気と行動力で、時に笑いを誘いながらも切迫した緊張感で最後まで飽きさせない展開は、優れた脚本と登場人物たちの個性豊かな演技力のお陰だろう。特に、主演のラ・ミランの存在感はピカイチである。

世界の犯罪率統計(ICPO調査)をみると、ほとんどの国で犯罪件数が最も多いのは「窃盗」であるが、韓国と中東、南米の2~3国のみ「詐欺」がトップであった。治安も良く、経済的にも先進国の水準の韓国が、OECD諸国でも詐欺犯罪率で群を抜いている。激しい競争の中、富や地位、その他利益を得るためには、多少の嘘やごまかし、相手を騙す事も厭わない感覚が社会の中にあるとしたら、一度考慮してみるべきだろう。

「対外秘」映画評

 

私の個人的な感想ではあるが、日本のドラマ、映画のテーマは家族や恋人、友人をはじめ、学校や職場などの身近な人間関係を中心に、そこでの起きる出来事や事件、心の葛藤が描かれた内容が多い印象がある。一方、韓国映画、ドラマは、時代ものは勿論、恋愛、サスペンス、アクションであれ、実際の歴史事実や事件、社会問題が背景になり、それが観る人々の今の生活や現状にも関係し共感できる事が求められる。その点、政治と権力、金に関わるシナリオは最も好まれる題材の一つだ。「韓国人は政治好き」という評価がよく聞かれる。日本でよく問題視される「政治への無関心」「若者の政治離れ」とは一見対照的だ。それは選挙における投票率の低さ、特に若者を中心とする「誰になっても社会は変わらない」と感じる為だろうか。しかし、議員内閣制で一党がほぼ政権を持ち続けている日本に比べ、アメリカ同様、直接選挙による大統領制であり、かつ2大政党が交互に政権を担って来た韓国の政治体制では、好き嫌い以前に選挙の結果によって、個々の生活が180度変わり得る。政権が変わることによる外交政策は勿論、社会経済政策、例えば不動産取引や税金関係、融資の内容、更には官庁や自治体、公共機関、公立大学、新聞、テレビなどの幹部人事にまで影響が及ぶ。それ故、人が集まれば自然と政治の話題が出るのも当然と言えば当然。また、政治の中でも、理想的な指導者、政治家像、正しい民主主義に対する強い想いが韓国社会にはあるように思う。軍事政権から民衆の力で勝ち取った民主的政治という気持ちが強いだけに、政治や権力の影の部分がテーマに取り上げられやすい理由かも知れない。

今回紹介する映画「対外秘」は、まさに政治の裏の裏、90年代の国会議員選挙を巡って企てられた、駆け引き、工作、裏切り、暴力と悪の部分をすべてさらけ出した政治サスペンス作品である。キャストは、イ・ウォンテ監督がこの映画の完成に最も重要であった配役と話した熟練の俳優イ・ソンミン、善悪どちらでも演じ切るチョ・ジヌン、役柄に合わせて千の顔を持つと言われるキム・ムヨルの3人を中心に、他の俳優陣も納得の演技を魅せる。舞台は1992年、釜山。党の公認候補を約束されたヘウン(チョ・ジヌン)は、国会議員選挙への出馬を決意する。ところが、陰で国をも動かす黒幕のスンテ(イ・ソンミン)、公認候補を自分の言いなりになる男に変える。激怒したヘウンは、スンテが富と権力を意のままにするために作成した〈極秘文書〉を手に入れ、チームを組んだギャングのピルド(キム・ムヨル)から選挙資金を得て無所属で出馬する。地元の人々からの絶大な人気を誇るヘウンは圧倒的有利に見えたが、スンテが戦慄の裏工作を仕掛ける。買収、脅迫、裏切り合いが繰り広げられるなか、この選挙は、国を揺るがすさらなる権力闘争に進展していく。最後まで結末の読めないスリリングな展開は、韓国初登場No1を記録し、世界の映画祭で高い評価を受けたというのも納得の作品である。

当時の時代背景や社会を取り巻く環境は別として、この映画はあくまでもフィクションである。韓国では以前より「ファクション」という言葉が使われている。ファクト(fact)とフィクション(fiction)を合わせた造語だが、史実や実際に起きた事件を映画化するときに、自然と監督の意図が反映された結果でもある。過去ハリウッドでも度々あったように、映画は時にプロパガンダとして利用される。だからこそ映画は映画として楽しみ、歴史的な事象は自ら知り考えることだ。一方、韓国映画に加えられるフィクションは、社会変化や現状に対する切実な要望や理想への想いが凝縮された部分でもあり、そこが人々を引き付ける魅力である事も間違いない。

 

 

「ボストン 1947」映画評

今年はパリで夏季オリンピックが開催された。地理的にも、その背景を考えても決して遠くないウクライナ、そしてパレスチナ地区では連日戦闘による破壊、殺害が続く真只中の大会である。実際、よく謳われる「政治理念、宗教、民族を超えたスポーツによる平和の祭典」という大義名分を言葉通り素直に受け止められない現実がある。戦後で言えば、共産圏で初めて開催された80年のモスクワ大会は、前年のソ連アフガニスタン侵攻に抗議したアメリカの呼びかけでイギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、日本などがボイコットを決めた。最終的には中国も含め60ヵ国が参加せず、81ヵ国での開催となる。そして次の84年ロサンゼルス大会は、報復としてソ連及び東欧諸国が参加をボイコット。まさにスポーツが東西対立の道具とされた。勿論戦前も何度か戦争で開催を断念した事もある上、オリンピックを政治的プロパガンダに利用した大会として暫し挙げられるのが36年のベルリン大会だ。ヒトラー率いるナチス政権は、人種差別、軍国主義の特性を隠蔽し、平和的で寛容なイメージを外国にアピールした。古代オリンピックの開催地ギリシアから聖火をリレーで運ぶ儀式もこの時からで、ドイツ民族が文化面でも正当な継承者であることを象徴し、ドイツの若者をナチ党に惹きつける意図があった。

それとは別にベルリンオリンピックは、日本の植民地統治下での大会として韓国では特別な意味を持つ。この大会のマラソン競技に日本代表として孫基禎(ソン・キジョン)、南昇龍(ナム・スンニョン)の二人の青年が参加し、見事金、銅メダルを獲得した。特に、孫基禎は前年の明治神宮大会で世界記録を出したのに続き、オリンピック最高記録での優勝であった。しかし、このとき2人の若者は、表彰台で日章旗が上げられるのを直視できず、君が代を聞きながらうつむくしかなかった。特に民族意識が強かった孫基禎は、外国人からサインを求められると名前に加えて「KOREA」記し警察から監視に対象になる。勿論、朝鮮国内では彼らを民族の英雄として称え、朝鮮の新聞「東亜日報」に胸の日の丸を塗りつぶした写真が掲載された。

今回の作品は、あまり知られていない孫基禎のオリンピック後の指導者として軌跡、そして彼の教え子である徐潤福(ソ・ユンボク)の成長とボストンマラソンでの快挙を描いた映画である。あらすじは、1945年、韓国が日本から解放された後、荒れた生活を送っていたソン・ギジョン(ハ・ジョンウ)の前に、ベルリンで共に走り銅メダルを獲得したナム・スンニョン(ぺ・ソンウ)が現れ、“第2のソン・ギジョン”と期待される若手選手ソ・ユンボク(イム・シワン)をボストンマラソンに出場させようと声をかける。祖国は独立してもベルリンのメダルは日本人のまま記録されていた。止まった時間を動かし、祖国への想いと名誉を取り戻すためレースに挑むソンと選手たちは様々な困難に挑んだ。韓国映画を世界に知らしめた作品と言っても過言ではない「シュリ」(99)や観客動員1000万を超えた大ヒット作「ブラザーフッド」(04)で名声を不動のものにしたカン・ジェギュ監督。「実話としてどうアプローチしようかと悩み、フィクションを最小化して、実際の話を忠実に盛り込んだ」本作品は観るものに臨場感と感動を呼ぶ。

歴代オリンピック男子マラソン競技では、92年バルセロナ大会で韓国の黄永祚(ファン・ヨンジョ)選手が再び金メダルを獲得した。一方、公式記録上は‘日本人’の金メダリストは唯一、孫基禎ただ一人。彼は、オリンピック後、明治大学に留学するが、陸上より知名度を利用され、朝鮮人の学徒志願兵募集の演説に駆り出される。抑圧された思いを背負いながらも、スポーツを通した平和の実現、とりわけ日本と韓国の関係改善に心を砕いていたと、横浜市に住む長男の孫正寅(ソン・ジョンイン)氏は語る。オリンピアン、それもゴールドメダリストのプライドだろう。

 

 

 

映画「ソウルの春」 評

 

過去のある地点で起きた出来事を、記録や伝承をもとに後世の誰かが断片を繋ぎあわせ編集したものが歴史として残る。それ故、その時代の価値観や評価により、焦点が当てられる人物がいる反面、影のように隠れ忘れ去られる人々もいる。韓国の近代史は、植民地支配からの独立、その後は政治、経済的に国としての有り体を創るべくもがき続けた道のりであった。特に軍事独裁体制から民主化への過程は、最初に学生達が声を上げ、やがて一般の国民自らが立ち上がり、多くの犠牲の上に成し得たとの自負を持っている。南北の内戦終了後の韓国で1961年の軍事クーデターで権力を掌握し、長く軍事独裁政権を続けてきた朴正煕大統領が1979年10月26日に側近の大韓民国中央情報部(KCIA)部長の手により暗殺される。予期せぬ事件で朴大統領が斃れたことで、民主化への期待が国民の間で高まるも、同年12月12日、国軍保安司令官全斗煥(ジョン・ドゥファン)少将と第九師団長の盧泰愚少将を中心とする軍内秘密組織「ハナ会(ハナフェ)」による粛軍クーデターが発生(12.12軍事反乱)。軍の実権はハナフェによって掌握、翌年5月17日による「5・17非常戒厳令拡大措置」とその直後の「5.18光州民主化運動」(光州事件)を経て、全斗煥大統領のもと新たな軍事政権が誕生した。

今回紹介する作品「ソウルの春」は、チェコスロバキアでドゥプチェク共産党第一書記による民主化改革への期待が1968年8月深夜、ソ連による軍事侵攻とその後の占領で打ち砕かれた出来事「プラハの春」から連想された題名である。スト―リーは、12.12軍事反乱をモチーフに、実名は変えているものの、資料や証言をもとに当時の軍部内の動きからクーデターに至るまでの緊迫した状況、その中で蠢き、そして巻き込まれていく人間たちの葛藤や不安、恐怖を中心に描かれていく。現時点で韓国を代表する俳優と言ってもよい二人が対照的な人物を熱演した。権力に固執した悪の象徴、チョン・ドゥグァン国軍保安司令官役にはファン・ジョンミン、一方、圧倒的不利な状況の中、自らの信念に基づきハナフェと反逆者チョン・ドゥグァンの暴走を阻止しようと立ち上がる首都警備司令官イ・テシン役にはチョン・ウソン。そして、二大スターと映画「アシュラ(2016)」以来のタッグを組んだのが名匠キム・ソンス監督。「私は歴史家ではない。十分に調査して資料を得たぶん、面白さを追求しつつも、私が言おうとしているテーマや実際にあった事件の骨組みから抜け出さないという2つの原則を守った。」その言葉通り、ドキュメンタリー調ながら、善と悪を象徴する二人の主人公を対決させることで至高のエンターテイメントとして成功した。本作が2023年韓国で上映されるや、『パラサイト 半地下の家族』などを上回る1,300万人以上の観客動員を記録し、歴代級のメガヒットとなる。

チョン・ウソンが演じたイ・テシン司令官のモデルも存在する。張泰琓(チャン・テワン)という人物である。当時、陸軍少将であったが、陸軍士官学校出身ではなく、ハナフェとも距離を置く存在であり、かつ実直で部下からの信頼も厚かったと言われる。私の義父は元将校だが、まだ若き時節、他の部下たちと一緒に彼の自宅を訪れる機会があったらしい。軍人として既にそれなりの階級であったと思われるが、贅沢品は見当たらず、配給された古い靴を磨いて履くような、堅実で質素な生活をしていたとの話を聞いた。クーデター後、張将軍は拘束され、自宅軟禁の処分を受ける。彼の父親は「忠臣の家族は謀反者の下で生きていけない」と断食し翌年死去。ソウル大学に通っていた息子も、その2年後に祖父の墓前で命を絶っている。冒頭で歴史には光と影の役割があると書いたが、張泰琓(チャン・テワン)と言う人物も時代の中で、懸命に己の使命を果たそうとしつつ飲み込まれていった一人であろうか。